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【翻訳】AKBの初期エピソード「ライダー」を彷彿とさせる、ファンとJKT48メンバーの絆

もくじ
◆はじめに
◆記事の要約
◆AKBの初期エピソード「ライダー」とは
◆現在チームJ3rd「誰かのために」公演中
◆蛇足

はじめに

先日、熱心なJKT48ファンの一人が急逝した。そしてその亡くなったファンが推していたメンバーの対応は、AKB48黎明期を支えた伝説的オタであるライダーのエピソードを彷彿とさせるものだった。以下はその件について報じたウェブニュースサイトの記事だ。

記事の要約

JKT48ヨナ 急逝したファン最後の願いに応えた

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アイドルグループJKT48をショッキングなニュースが襲った。本日(6月11日)熱心JKT48ファンのひとりが急逝し、JKT48のメンバーのひとり、フィフィヨナ・アプリアニ(ニックネーム:ヨナ)が、そのファンの最後の願いを叶えた。


この一件は、2014年6月9日(月)にツイッターアカウント‏@SyaoranInDzoneを所持していた、アズハルという青年がヨナにあるお願いをツイートしたところから話が始まる。

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「ハイ、劇場公演頑張ってね。今日は体調が良くないので行けないんだけど。。あとで浴衣を着た写真シェアしてね(笑)」アズハル最後のツイート内容だ。


彼は、最も足しげく劇場に通うファンの一人として知られ、最後の願いを残した後、本日早朝に心臓発作により逝去した。


他のファンのツイートがヨナのアカウントに殺到し、彼女もアズハルの死を知る。そして寄せられるツイートの多くはアズハル最後の願いに関するものだった。


多くのツイートを受け取ってしばらくのちに、ヨナは浴衣を着てうちわを持った自身が写った白黒の写真をアップロードした。


そして写真と共に短いフレーズが添えられていた。「Each happiness of yesterday is a memory for tomorrow ..」(原文ママ・以下筆者訳)「昨日の幸せをを、それぞれが明日の思い出に…」。


このメッセージは、失った同志を悔やむ他のJKT48ファンの心に響くものであった。

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この一件に付いて、ファンからは好意的なメッセージが多数寄せられた。以下はその一部。


「ありがとうヨナ、天国にも届いたと思うよ」(ツイッターアカウント@reksastoryより)
「彼も天国からここれを見ているといいな」(ツイッターアカウント@Jdoubleolより)


フィフィヨナ・アプリアニはJKT48の二期生で、生年月日は1994年4月13日。2013年の6月25日にチームKIIIに昇格した。自己紹介フレーズは「 "Pemimpi yang pantang menyerah, namaku Yona"(原文ママ・以下筆者訳)ネバーギブアップのドリーマー、ヨナです」。

引用・翻訳元:
liputan6.com "Yona pun langsun Yona JKT48 Kabulkan Permintaan Fans yang Sudah Meninggal"
http://showbiz.liputan6.com/read/2061247/yona-jkt48-kabulkan-permintaan-fans-yang-sudah-meninggal

亡くなったファンのキャラクター

彼のツイッターアカウントは現在も残っていたので、チェックしてみた。まずフォロワーを見たところ共通の知人が二人いたことを知り、JKT48に界隈は狭く、知り合いの知り合いというだけでかなり多くの人に行き着くのだろう。

そして日本サブカルが大好きな様子が見て取れたことにも驚いた。JKT48関連のツイートが多いのはもちろんのこと、May'nなど多くのアニソン歌手が来イした、アニメフェスティバルアジアインドネシア(AFAイD)に行ったり、また亡くなる前の日には「HUNTER×HUNTER 緋色の幻影」を楽しむ様子がツイートされている。かなりのオタクである。最後のお願いが「浴衣を着た写真」であることから、そうとうな日本フリークであることもわかる。

そして上記の記事要約からもわかる通り、彼の推しメンはヨナである。彼女と一緒に写っている写真なども上がっており、熱心なファンである様子がありありと伝わってくる。

AKBの初期エピソード「ライダー」とは

ご存知の方も多いとは思う。乱暴なまでに要約すると以下のような話である。

AKB48黎明期に劇場へ足しげく通い、ライダーの愛称で知られていたとあるファンのエピソードだ。

ある日彼が脳内出血にて逝去し、その約一ヶ月後に始まったチームA3rd「誰かのために」公演にて、「ライダー」という弔いの曲を彼の推しメンがセンターで歌った。レッスン中、メンバーはもちろん「ダンスの鬼」とまで言われていた当時の振付師である夏まゆみ先生も涙をおさえきれなかったという。しかし一番思い入れの強いメンバーが泣きながら歌うことは一度もなかった。

詳細は「48現象」ワニブックスを読んでいただきたい。このエピソードに限らず、AKB48の黎明期を知るにはうってつけの書籍である。

そして、このたび亡くなったJKT48ファンのアズハルさん。劇場に足しげく通い、JKT48を支えた彼を偲ぶメンバー。AKB48黎明期にも通じる、確かな絆を感じずにはいられない。

劇場を根幹としたAKB48の魂は。遠く離れた場所でも引き継がれ、息づいている。

現在、チームJ3rd「誰かのために」公演中

ファンとしての同志が逝去するという悲しいニュースではあるが、彼の最後の望みが叶えられたことを嬉しく思う。そして何の因果か現在チームJはJ3rd公演中で、セットリストは「ライダー」を含む「誰かのために」公演なのだ。

JKT48では、チームごとの縛りはそこまできついものではなく、実験的にではあるが別チームのメンバーが公演に混ざることがある。例えばヨナはJ2ndの「恋愛禁止条例」公演に出たこともある。

そこでだ。ヨナがJ公演に混ざり、「ライダー」を歌うという演出を是非見たい。もしくは近々行われるスラバヤでのコンサートでもいい。コンサートなら混成ユニットという演出も比較的しやすいはずである。

ステージのセンターに立つヨナが、多くのファンと共に「ライダー」合唱する。そんな場面が実現するとしたら。それは伝説的な公演になることは間違いない。

蛇足

ヨナが引用した「Each happiness of yesterday is a memory for tomorrow」という言葉。グーグルで検索したところGeorge W. Douglasという人の言葉を引用したものであることがわかった。しかしこの人物に関する情報は少なく、どういった人物なのか絞りきることができなかった。この引用もとがわかる人いたら是非おしえてください。

完全に私見だけれど、有力な候補は以下の二人。
George Wayne Douglas
George William Douglas

George Wayne Douglasは6度もガンに蝕まれつつ、生き抜いた人であるよう。アズハルさんの病状を知る由もないが、もし彼が日頃から病魔と闘っていたとしたら。その辺の共通点も含めてのこの言葉の引用だったとするなら、そうとうの教養の持ち主だな…と思ったけどこれは深読みしすぎだな。

いずれにせよ、このようなメッセージに偉人の、しかも英語の言葉を引用するあたり、非常にスマートな一面も見せたヨナ。好感度急上昇はまちがいない。